時代の風 失言と報道の責任 など

斎藤環さん(毎日朝刊)

(医師には)社会的常識が欠けている人が多い 発言への反応。

ネット上の医師向けの掲示板などを見る限り、医師達の怒りはとどまるところを知らないようだ。

とりわけ深刻なのは、医療の最前線を懸命に支えてきた医師達の落胆ぶり。「総理の発言で心が折れた。もう現場からは撤退します。」といった声が少なくない。

総理の発言は、とりわけ産科や救急などの困難な現場で働く医師達に、「立ち去り型サポタージュ」を促し、「医療崩壊」をいっそう推し進めることになるだろう。

今度ばかりは、撤回・謝罪ではすまない。

失言に見られる、医師の非常識、医師のモラルの低下などのイメージは、ほぼ確実にマスコミによる医療バッシングの影響下にある。政治家の失言はマスコミによるイメージ操作に忠実にしたがった結果なのだから。

目立たないところで日本の医療を支えている人達の心が折られた時、日本の医療崩壊が始まった、というのが斉藤さんの結語のようだ。

同じ舌禍を、内田さんは別の角度から批判する。こちらも当たっている。

http://blog.tatsuru.com/2008/11/20_1132.php

麻生太郎というひとはこの「非言語的シグナル」を読み当てる能力にどうやら致命的な欠陥があるようだ。
それはこの人の「言い間違え」に端的に表れている。

(途中略)

どうして、知らない言葉の意味を考えなかったかというと、「自分が知らないことは、知る価値のないことだ」というふうに推理したからである。

(途中略)

「人の話を聴かない人間」は他人の話のなかの「自分にわかるところ」だけをつまみ食いし、「自分にわからないところ」は「知る価値のないたわごと」であると切り捨てて、自分の聞き落としを合理化している。
けれども、それでは「危機的状況」は乗り越えることができない。
「危機的」というのはふつう「自分に理解できないこと」が前面にせり出してきて、それが私たちの社会の秩序を根底的に壊乱させつつあるような事態のことだからである。
危機に対処するためには、「自分に理解できないこと」を「理解する」というアクロバシーが必要である。
「自分の知らないこと」の意味を探り当てるためには、「自分の知っていること」だけを組み合わせても追いつかない。
どこかで「自分の知らないこと」の「意味がわかる」という力業が演じられければならない。
私たちは非言語的なシグナル(「意味以前」)を手探りすることで「自分には意味がわからないことの意味」に触れようとする。
政治家には荒海を進む船の船長のような資質が求められる。
それは「なんだかわからない事態」に適切に対処できる能力である。
「何がなんだかわからない事態」に遭遇したときに、「私は一貫して正しい操船をしており、何かが起きたとすれば、それは『何か』の方の責任だ」と言ってはばからない人では船長は務まらない。
私たちの政治指導者はどうやら「船長」タイプの人間ではなさそうである。