雑記

http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/geinou/news/20060220k0000e040107000c.html
先日電車の車内全面広告に眞鍋姉さんが登場して朝からびっくり。何人もいると迫力ありますね。

http://benli.typepad.com/annex_jp/2006/02/post_10.html

デジタルデータの証拠能力の問題。こういう検討をどうして新聞社は早くしないのだろう。


http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060219/p1
ウエブで培った力がウエブ進化論のベースになった?すばらしいことです。

余談つづきに、親しい友人Sからもらったメールの一部を引用する。

梅田さんは昔から、これほど完成度の高い本を書いていたっけ?と失礼ながら思い立ち、これこそがWEBという新たな知的生産のツールによる処女作なのだと気がつきました。

作品の完成度を高めるためには、第三者の目による質問・感想・コメントによるフィードバックが必須ですが、この本は初版にして、その種のフィードバックを完了した跡がみられます。ということはWEB空間において、その種のやりとりが終了した後の産物がこの本だということでしょう。

Sは、本業の経営コンサルティングの仕事を通して親しくなった「親友」の一人だ(顧客企業側のパートナーの一人だ)。おそろしく優秀な、エスタブリッシュメント社会の戦士みたいな人だ。「親友」の一人(身内)が褒めてくれた内容を自慢げに開示するなんて可笑しな話だが、その部分は差し引いて読んでください。

彼のポイントは、長年付き合ってきてよく知っていたはずの梅田が、ブログ空間でずいぶん成長したんだね、それを感じたよ、と認めてくれたところにある。さすがに彼はいきなり本質を掴むなぁ、と僕はこのメールをもらって実は驚いたのだ。そしてそのことをasahi.comの平さんともシェアしたかったので、このエントリーを書いた。

さらに余談になるが、平さんにしてもSにしても、日本のエスタブリッシュメント社会の人材の豊穣さ、層の厚み、個人として魅力を発する人の多さ、というのは凄いものがある。

でも若い人たちは、このことをわかっていない。エスタブリッシュメント社会の戦士たちの日常は忙しすぎ「ネットに住むようにして生きる」ことなんてできない。だからネットのことがわからない。でも過激な若い人たちは、その一点をもって彼ら彼女らを認めようとしない。そういうギャップを百も二百も承知しているからこそ、僕はこの本を書いたのである。

日本における良質なものと良質なものが互いに理解しあえないのは不幸なことだ。しかしその二つの別世界は、きちんと言葉を尽くすことで、理解しあえるのではないかと僕は信じているのだ。


http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/18/AR2006021801092.html?nav=rss_opinion