感受性とマニュアル

あざらしサラダさんからもう一度コメントを頂きました。私もこれは常日頃悩んでいるところなのでまたコメントを書いてみたいと思います。

「感受性」の芽を潰しているのが「マニュアル」ではないかと思うことがままあります。

難しいところですね。私もごくごく特殊な世界に生きていると思うので、あざらしサラダさんのおかれた状況がうまく想像できませんが、そういう部分もあると思います。マニュアルというのは特に多数の人達がバラバラに物理的にも離れた場所で同じ仕事を進める場合には必須だと思います。

私のところは組織が小さく、また仕事もマニュアル化できないところが悩みです。でも、かなり大きな組織からの出向者や移籍者で構成されているのでそれぞれの組織での仕事のやり方を持ち込んでいるところがあります。

私は営業の仕事の基本は組織を越えたものではないかと思っています。特に私の所の場合は、自分のところの製品を売るのではなく、顧客毎にテイラーメードで対応するので、何か規格品あるいは規格品を少し変えて販売するという訳にいきません。それで、こうして欲しいといったマニュアルを特に作っていないのです。あえて言えば、顧客毎に、違ったやり方でセールスをしなければならない、そんな状況です。

ところが、中に営業ってこんなものだ、と決めてかかっている人がいるのです。こんなはずだから、そうじゃないよと指導されるのはおかしいとか、ついていけない、とか。この辺は何というのか、暗黙知とかいうつもりはないのですが、状況状況に応じて柔軟に取りくんでほしいのだけれど、という他ありません。

現在、組織の中で「教育」を担当している者としては、非常に悩ましく思っています。

大変だと思います。一人一人の教育であればその人毎に対応すれば良いのですが、ある程度まとまった人の集合を相手にする場合は、もっと大変ではないかと思います。

でも常にそうありたいのは、柔軟性を失わないこと、違ったやり方があるのではないかと疑ってみること、自分のやり方がベストと思わないこと、でしょうか。心はつねに青年いや少年でありたいと思っています。