A very valuable observation on the promotion of the usage of Japanese yen in 1970s and 1980s

A very valuable observation on the promotion of the usage of Japanese yen in 1970s and 1980s by a former professional practitioner.

リンク: Investor's Eye: 円の国際化外史(その1.貿易金融).
円の国際化外史(その1.貿易金融)
 国家や政府が「上から」正式に記したものではなく、民間によって「下から」書かれた歴史を外史と言う。日本の政府当局はさかんに円の国際化(円が日本の国境を跨いで、また日本国外で使用されること)を推進しようとしているが、円に限らず通貨の国際化は「上から」ではなく「下から」進む。つまり民間セクターが当該通貨の国際的使用に持続的な経済合理性を認知した場合に初めて国際化が進展するのだ。従って円の国際化についてもその「下から」の外史をふまえた上で方向性を考えることが大切であるが、民間セクターは歴史を書き残すことが本来の使命ではないから、どうしてもビジネスの記録性が希薄になり勝ちである。今回の2回にわたるシリーズは私の既発表論文から、円の外史に関わるエッセンスの部分を貿易金融及びデリバティブに分けて、学生など初学者向けに箇条書程度に書き換えたものである。

 貿易取引における円の国際化は以下に紹介する通り1970年代後半、ユーロ円ではなくヤンキー円の形態で始められた。円建貿易金融の最初の試みは、1970年代後半にニューヨークにおいて一部邦銀が行った円建OAD(オウン・アクセプタンス・ディスカウンテッド)方式による貿易金融である。わが国の企業の対米進出増加(この時期は製造業の販売現法が主であった)に伴い、本社と在米支社または現法との間の円建貿易取引が増加したため、邦銀が米国サイドにおいて日米間貿易に関わる円建荷為替手形の引受け及び割引きを通じた貿易金融を行ったものであり、ニューヨークにおける円の調達は米ドルを原資とするインターバンク為替先物取引(円対ドルの為替スワップ)によって行われた。また、同時期一部の邦銀ニューヨーク現法は顧客から円建定期預金の受入れを開始し、これも円建OADの原資の一部となった。円建定期預金に対するニーズは円高の進行(1977年初の240円台から1978年10月末の176円台へ)もあり日系企業の在米現法のみならず対日取引を行っている米国大手企業からも高かったが、こうしたニューヨークにおける円の国際化は、1978年11月のカーター・ショックを契機とするドル高基調への転換(1985年9月のプラザ合意まで継続した)と、円建OADそのものがセカンダリー・マーケットにおける流動性を前提としたものではなく、邦銀間での日系顧客の日米間貿易為替取引争奪競争における限界的な金利ダンピングの手段にすぎなかった為、市場規模の拡大に対応し得る経済合理性を欠いていたところから、最終的に定着するには至らなかった。
 
 次に円建貿易金融が試みられたのは1985年における円建BA(バンカーズ・アクセプタンス)市場の創設であったが、これも市場残高が漸減し、市場創設後5年にして自然消滅した。円建BA市場の失敗については多くの研究がその原因を技術的・制度的要因(原手形の日銀への担保差し入れが必要とされていた事、当初は階級税率による印紙税が課せられていた事など)に求めているが、基本的には上述のニューヨークにおける円建OADと同様セカンダリー・マーケットにおける流動性を欠いていた為に、市場としての持続可能な経済合理性が欠如していた事がポイントである。当時のわが国の金融・産業界においては信用リスク格差(有担保・無担保の別も含めたリスク・プレミアム)が適用金利に反映される度合いが低く、その為貿易貨物によって担保されているBA手形の信用リスクの低さが、担保力において劣後する他の短期金融手段に対する金利形成面での比較優位の確立に結びつかなかったものだが、この事はより基本的には1980年代後半、規制金利体系下の保護された金融システムと自然発生したマーケット・メカニズムに基く自由金利体系の金融システム(表面的には外貨取引として窓口規制の外に置かれた自由金利のスワップ付インパクトローン・外貨預金など)が並存し、それらの恣意的使い分けが放置され、マーケット・メカニズムと自己責任原則との対応関係が制度化されなかった事に起因している。また上に紹介した貿易取引面での円の国際化に関わる2つの失敗事例は、いずれも今後の円の国際化のあり方を検討する場合、セカンダリー・マーケットにおける流動性に裏付けられた持続的な経済合理性の有無が極めて重要な視点であることを示している。

 次回はISDA設立(1985年)以前のデリバティブ黎明期における円について見て行く。(その2.デリバティブに続く)