H-Yamaguchi.net: 人口減社会は明か暗か、という話

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2006年1月6日付朝日新聞「新社会のデザイン」と題した対談コーナーがあって、「人口減社会は明か暗か」というテーマで東京学芸大の山田昌弘教授と作家の堺屋太一氏の対談が出ていた。

けっこう読みごたえあったな、これ。

なぜ読みごたえがあったかというと、対立軸がはっきりと示されていたからだ。あちこちにいい顔をしようとする政治家同士の討論だとこうはいかない。対立点とは、整理してみると、こんな感じだ。

論点堺屋山田
これからの10年は団塊の世代が束縛から離れて新たに活躍する黄金の10年現役世代がリスクに直面し、団塊の世代を支える重圧にさいなまれる10年
団塊の世代年功序列賃金から解き放たれて低コストで働き、低コスト社会をもたらすと期待プライドが捨てられず、現役世代の年金負担を費消するだけの抵抗勢力になるかも
雇用形態が柔軟になり高齢者を上手に使う企業が伸びる若年層の雇用不安定が社会の活力を奪う
人口減少は生産性の低い産業が廃れ、全体として生産性が向上する成長できなくなり、二極化が進む
生活水準の格差拡大は多様化だから問題ない。最低限を保証した後は本人の選択の問題固定化が問題だ。下層の人は選択の余地がない。貧困の再生産が起きる
二極化で何が起きるか豊かになる人が出れば、そうでない人も恩恵を受ける取り残される人の割合がはけっこう高い。社会の中で不安が増大する
国民は放置しても努力する。信頼してよい。規制で行動をしばることこそ避けるべき強い人間ばかりではない。希望のもてない人が増えると社会が不安定化する
政府の関与官に任せず民の善意と努力を引き出すべき。寄付制度を活用せよ寄付制度は拡大されるべきだがそれに頼りきることはできない。システムからはじきだされた人を救う政府の役割は重要
今の若年層は不安不安といいすぎる。不安など昔と比べればよくなったほう。経済成長の成果を享受しながら不安だけ言い募るのはおかしい団塊世代と比べてリスクの高い社会に生きている

いや、こうまで明確に対立されると、いっそすがすがしいね。どちらの側も、一貫性のある社会観みたいなものを反映している。気持ちレベルにとどまらず、社会制度のあり方まできちんと構想しているから、政策談義としても意味がある。

おそらく世間的には、山田教授の意見のほうが共感されやすいだろう。現状はまさしく山田教授の指摘したとおりだし、将来への懸念も実感をもって受け止められる。それに山田教授の分析にはデータの裏づけがあるという意味でも「安心感」がある。そうした地道な作業があったからこその説得力だし、その懸念に共感できたからこそ「希望格差社会」はベストセラーになったのだ。堺屋氏の意見は、そうしたデータの積み上げというよりは、堺屋氏自身の「洞察」みたいな感じだし、なんだか楽観的すぎるようにみえなくもない。

では堺屋氏の主張には意味がないのか?「団塊の世代」以来、印象に残るキャッチフレーズをつけて時代を切り取ってみせるのが同氏の真骨頂だが、「黄金の10年」説はだめなのか?というと、そうでもないと思う。堺屋氏のいっていることは、現状の分析でもなければ問題点の指摘でもない。「視点の提示」だ。ものごとをみる新しいフレーミングを、キャッチーなネーミングとともに提示しているのだ。

こうしたことは、実はかなり重要だと思う。看板のすげ換えにすぎないではないか、実態は何も変わらないではないかという批判もあろうが、私はそうは思わない。同じものごとでも、視点の置き方によってまったくちがった意味合いを持つことはよくある。わかりやすい例でいえば、コップに「もうこれだけしか水がない」とみるか「まだこれだけ水がある」とみるか、みたいな話だ。リスクの増大が実はチャンスの増大だったり選択肢の拡大だったりすることもあれば、年収の低下が責任からの解放だったりすることもある。

堺屋氏は、これからの時代を、「現役世代に不安と不満が満ちあふれる時代」とみるのではなく、「団塊の世代が社会的束縛から解き放たれる時代」とみた。コップに残った水は意外に多いぞ、というわけだ。問題のフレーミングは、考え方に大きく影響する。人々の考え方が変われば、現状に対する評価もとるべき対策も変わってくるかもしれない。この話とは関係ないが、私が、私とは考え方がかなりちがう森永卓郎氏をけっこう評価しているのも、彼の「年収300万」というアレが、人々のフレーミングを変えるキーワードになっていると思うからだ。「年収300万」を「通過すべき点」とみると、そこから脱出できない人はあせりに駆られる、不満にとらわれる。それを「ここにいていいのだ」と視点を転換することができれば、実態は変わらなくともあせりや不満はずいぶん軽減されるかもしれない。

それと同じように、私は堺屋氏の提示する新しいフレーミングに期待する部分が若干だがある。当事者を「説得」できるかどうか、政策に反映されうるかどうかはもちろんまだ未知数だが。

実は、これだけ意見が対立していながら、いざ社会制度をどう変えるかという話になると、この両者の主張はけっこう似通っている。転職の増加に対応した制度、公的部門を官と民双方で支える手法、寄付の活用などだ。ちがうのは、堺屋氏が自由と選択を重視しているのに対し、山田教授は自立支援のための政策対応を重視している点だ。視点の差が提唱する政策の差に現れる。それ以外は現実的に。政治家の党利党略まるだしの議論と比べてなんとすっきりしていることか。

というわけで、関心のある方のために、ご両人の最新刊など。

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ぜんぜん関係ないが、堺屋氏の現職は早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授だったはず。なんでこの対談記事のプロフィール欄に出てないんだろう?不本意なのかしらん。

大雪。日中も右記は断続的に降り続いたが夕方以降は小休止か。小松空港へはJRで向かうつもりだったが一便前の福岡行きに接続するバスにたまたま乗り北陸自動車経由空港へ。路面状に積雪がなくスピードダウンせずに走行。空気が澄んでいて前の車の尾灯がくっきりと見える。余りこの季節に来ることは少ないので自分の目には珍しい光景。