伏見康治さんとの対談を読んで

伏見康治さん(物理学者)の対談(09先学訪問)。

統計力学ののめり込むひとつのきっかけが、寺田寅彦さんの寺田物理学に飽きたらず、それを救うには確率論しかないという思いを抱かれたこととのこと。寺田物理学は、目の付けどころはすばらしいが、多分に随想的なため、「小屋掛け学問」などと批判する向きもあったとのこと。これをしっかりした学問にするには、確率論を武器として理論を構築しなければならないと考えたとのこと。また、そういった問題意識が注目され、早い段階で「確率論及び統計論」を書く機会があった。
菊池正士さんが登場(大昔、原子力の平和利用についての岩波新書を亡き父が読んでいてそれを後で読んだ覚えがある)。この実験物理の泰斗に傾倒したらしい。
昭和27年に原子力の平和利用の提案を学術会議で行ったが、茅誠司氏・伏見さんの提案には他の研究者が猛反対。広島で被爆し首筋に火傷の跡がある三村剛昴氏(広島大理論物理研究所長)は、「声涙共に下る」大演説をされ米ソの対立が解けるまでは、決して原子力には手を出すな、と訴えた由。その後、ビキニ環礁での水爆実験、原子炉築造の予算計上(昭和29年、中曽根康弘氏他による提案)と続く。
科学的生活を成功させる要因として、「運」(運を待つこころ)、「鈍」(日頃の生活の計画に頭を乱さない)、および「根」(生活を捨てるほど精神を集中させる)の3つを挙げておられる。

98歳。長寿をお祈りしたいと思います。