斎藤環さん 成人と成熟の間 持続的な若者支援を を読んでのメモ

毎日 時代の嵐 に斎藤環さんが、成人と成熟の間 持続的な若者支援を と題して寄稿されている。成人年齢を引き下げることについて慎重派ということで新聞の取材を受けたのが、次々と取材依頼が入って、気がつくと反対派論客の一人にされていたという。苦笑。この取材とは以下を指すのかな?

http://d.hatena.ne.jp/fwds/20080302/1204473017

引き下げが成人としての自覚をもたらす、あるいは、欧米諸国は軒並み18歳という主張を疑問に思うとのこと。若者=成人しているが成熟していない人々 という人達が存在しているが、その多くは不安定化し弱者化しつつある。たとえば、ニートやワーキングプアの問題が深刻化した背景には、たとえば、中高年雇用者の既得権が若者の就業の機会を奪っている現実や、労働者保護の視点を欠いたままの労働者派遣法の不備が放置されたままであることが指摘される。これが社会参加への不安や恐怖をもたらし、若者の自覚を促すどころか、非婚化や引きこもりの遷延化につながっていこうとする。つまり、社会の側が若者から成熟の機会を卯バテいる。成熟を促すような社会環境を作る努力をせずに、法的な成人年齢だけを引き下げるという発想はかなりバランスが悪いとする。
欧米並みにすべき、という発想については、若者についての政策を欧米並みにすべき、とする。ニートは、英国から輸入した際に、もともと定義上の年齢が16歳から18歳であったのを15歳から34歳に拡げたという。ここには、40代のフリーターが珍しくなくなり、ひきこもり事例の平均年齢が30歳を超えたという、若者の高年齢化という現実があるという。
そして、こういった若者達の若さを羨望しつつ時にその未熟さを軽蔑する。気まぐれな関心や感情を投影する鏡として若者がとらえられており、鏡に依存している限り、対策は常に場当たり的、その場しのぎのものにとどまり続けようとし、ひきこもりも、ニートも一過性のブームとして消費される、とシニカルな記述が続く。各官庁による縦割り対応の例として、若者の就労支援に、ジョブカフェ、ヤングハローワーク若者自立塾と各種機関が乱立し利用者を混乱させた例が挙げられる。
ヤングジョブスポットがこの3月一杯で閉鎖されることに対して、費用がかかる割には効果があがらないことが閉鎖理由の一つと聞いているが、支援機関の評価を経済効率でのみでなされるのは問題なしとしない、と批判する。これは、労働市場に十分な力を備えて参入できない学生への支援とすれば、むしろ効果があがっていないことの方をまず問題にすべきで、その過程で、縦割り対応の問題にもメスを入れるべきだろう。
最後に、むしろもう少し若者達に対して無関心であって良い、とする。むしろ無関心でいられるためには、恒久的な若者対策のための枠組みが必要。たとえば、英国の社会的排除防止局の存在。関連省庁が連携して運営される「コネクションズ」と呼ばれる若者支援ネットワーク。これはどうも英国のものらしい。
若者支援のための政策が常に維持されていることが必要とする。また政策の評価は急ぐべきでない。

我々は、どうも効率や財政再建に走るあまり、ゆとりをもって物事をみる深さを失いつつあるのかもしれない。