「モーニングセット」とコミュニティーの関係を読んで

なるほどと思いました。喫茶店とコミュニティが実に強い関係を持っているのですね。

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私の地元高知の喫茶店では「モーニングセット」が豪華なことを紹介しましたが、この喫茶店に毎日通っているうちに「モーニングセット」が豪華なのには「ある理由」があるのではないか、と思うようになりました。

○2年ぶりに実家に戻った私が訪れたこの喫茶店は、20人ほどで満席となる小さな店のため、当然のように「相席」に案内されるわけです。

 そして、私が座ったボックスでコーヒーを飲んでいた方々は、みんな母が入院したことを知っており、私が東京から戻り「見舞い」を済ませたことを告げると、そろって「お母さんは元気か」「いつ退院できるのか」と心配してくれました。

○ところで周りを見わたすと、私の母と同い年くらいの近所に住む方々が、まるでお気に入りのブログでコミュニケーションを楽しむかのように、気の合う仲間同士でのおしゃべりを楽しんでいます。

 そう、この喫茶店に訪れる常連客の方々は、ただコーヒーを飲むためだけにやってくるのではなく、ここに集まる客同士で会話を楽しむ、いわゆるコミュニケーションを最大の目的としているのです。

 以前、何かの本で「人は一日に数千語を話さないとストレスがたまる」と読んだことがありますが、私の母のように一人暮らしをしている高齢者にしてみれば、定年ですでに仕事を辞めているため誰かと会話をする機会などあまりありません。
 そのため、こうしたコミュニティーでのおしゃべりが、一日の中で会話をする唯一の場になっているというわけです。

○毎日こうした光景を見ているうちに、この喫茶店ではほとんどの常連客がゆっくりとおしゃべりを楽しもうと長居をするから、「モーニングセット」も豪華でボリュームが必要なのではないだろうか、と私は思うようになりました。

もしかすると今回紹介したような「小さな喫茶店」が、高齢者たちのコミュニティーとして注目されるようになるかもしれません。

私の実家は、地方都市でも私が小学校低学年の時に引っ越し、郊外にあります。市街地とはずっと住宅地がつながっていますが、今や、街自体が高齢化。街の中心は片側2車線の主要道の方にシフトし、実家の回りには目立ったレストランや喫茶店は見あたりません。そういったコミュニティを求めるには市の中心部に戻らないと難しいのでしょうね。そういう見方から、年老いた人達がどのようなlifestyleを築くべきか考える必要があるようにも思います。色々なことを考えさせられました。